ここ最近「ニューノーマル」という言葉を
よく耳にするようになりました。

小池都知事が散々批判された

ロックダウン
クラスター
ソーシャルディスタンス

に、続いて『ニューノーマル』ですよ。
また英語か、と。

今回は
「ニューノーマルって結局何?」
「で、結局何をどーすればいいの?」
という方のために、ニューノーマルについてまとめてみたいと思います。

ところで皆さん、この「ニューノーマル」という言葉、
なんか違和感感じませんか?
この記事の最後ではニューノーマルという言葉から感じる違和感についても説明したいと思います。

ニューノーマルとは?

ニューノーマルっていうのは日本語訳すると
「新常態」というらしいです。
つまり、「新しい常識」とか「新しい当たり前」のこと。

なんじゃそれ、という感じだと思うんですが、
まぁ簡単にいうと
「世界が大きく変わって、今までとは違う新しい常識や新しい習慣ができるよ」
ということです。

最近よく聞かれるようになった『ニューノーマル』という言葉ですが、
実はこれ、正確には「アフターコロナのニューノーマル」という使い方が正しいです。

じゃー
「アフターコロナのニューノーマルって何?」
っていうと、それは

「コロナショックで世界が大きく変わって、新しい常識や習慣が当たり前になった世界」のことです。

新常識がノーマルになった世界。
そういう意味ですね。

ちなみに
安倍総理が急に言い出した「新しい生活様式」とか「新たな日常」というワード。

あれ、ニューノーマルのことだと思います。

小池さんが「英語使うな」とさんざん批判されたことを受けて
あえて日本語で言ったんじゃないかなと。

それがなかったら
「新しい日本をつくる!ニューノーマル!」と
高らかに宣言してたと思います。

なんか「新しい生活様式」ってワードについても
無理やり和訳したような違和感を感じたんですよね。
急に出てきたというか。

まぁおそらくはこういうことなんだと思います。

ジャパニーズミラクルで緊急事態宣言解除

さて、欧米の爆発的な感染拡大に比べて、
かなり感染が抑えられた状態で5月末を迎えました。

なぜ欧米に比べて日本はこんなにも感染が広がらなかったのか?
その理由は専門家でも現時点ではわからないそうです。

PCR検査の実施数が少ないだけなんじゃないかとか、
欧米で広まっているウイルスと、アジアで広まっているウイルスは別物なんじゃないかとか、
BCGの予防接種が効いているんじゃないかとか、
手洗いうがい、マスクが習慣化していたこととか、
ハグ・キス文化がないこととか、
屋内で靴を脱ぐこととか…。

いろいろ言われいますが、が現時点ではわかりません。
私たちは研究者じゃないので、そこのところをこれ以上推測して、
追求しようとしてもあまり意味がないことです。

とにかく日本は、大多数の研究者の予想をいい意味で裏切り、
世界からも「ジャパンミラクル」と不思議がられるほど、
感染拡大を防いでいる。
それはどうやら事実なようです。

また安倍政権の陰謀だとか、情報操作だと言い出す人がいそうですが、
たぶんそうではないと思います。
なぜなら、世界には日本よりもよっぽど情報操作や情報隠蔽がうまい国がたくさんある。
でも、そういう国でも隠しきれないレベルで、感染が拡大してしまっていたからです。

日本だけ数十万人の感染者を隠し続けるなんてことはできないはずです。

そして、このままいけば近々、遅くとも5月中には
緊急事態宣言は解除されそうです。

いつになったら日常が戻るの?

でも
「緊急事態宣言は解除されるけど、まだ油断しないで。
 引き続き外出自粛してください」
と言われる。

え、まだダメなの!?

いや、じゃあ、いつになったら日常が戻ってくるの?
と思いますよね。

もう我慢の限界だ、と。
今までさんざん自粛してきて、
なくなくお店しめて、イベントも中止にして、
緊急事態宣言が解除されるまではと、歯を食いしばってきた。

それが、緊急事態宣言解除されても、
まだ終わらないだと!??

と思いますよね。

いや、そうなんです。

戻ってこないんですよ。
今までの日常は。

日常は、全く新しい日常に様変わりしているんです。
それが『ニューノーマル』。

「いやいや、そんなに変わらないって。
 人は人を求めるし、イベントとか、人との交流、触れ合いがないと
 やっていけないもんだよ」

と思う人もいるでしょう。

今はね。

今はそう思うかもしれない。

でも韓国や中国の例を見てください。

コロナ収束しました。

「やったー!!」

人々が街に出ます。

「クラブでクラスターが起こりました!!」
「感染の第二波がやってきました!!」

「ほら!!」

「ほら、だからまだ油断するなと言ったじゃないか。
 いいか、コロナはなくならないんだ。
 私たちはコロナ と共に生きる。
 withコロナの時代を生きているんだ。
 油断するな。
 前と同じ生活ができると思うな。
 そんなことして、また都市封鎖の苦しみを味わいたいのか!?」

…と、そう言う話になるんですよね。

専門家の予測ではワクチンが開発されるのは1年後。
ということは、
こういう流れが少なくとも今年いっぱいは続くと予想されます。

収束して、また拡散して、また収束して。

「もう気にしても仕方ない派」
「経済を止めるな派」と
「自粛警察」の戦いも続くでしょう。

そういうのを繰り返しながら、
世界は「ニューノーマル」へと変わっていくのです。

意識や常識が変わる

スーパーとかで、マスクしてないおじさんと至近距離ですれ違ったりする時、
ちょっと「うわっ」と思いませんか?

ゴホゴホ咳をしてる人がいたら「えっ、ちょっと」と思いませんか?

これって、
もう私たちの感覚が変わってきている証拠なんですね。
マスクするのが当たり前、体調不良の人は外出を控えるのが当たり前。

それをしない人は「マナー違反だ」と思われるようになります。

例えば、タバコの例がわかりやすいかもしれません。

昔は宴会や食事の場はもちろん、
会議室、職員室、車の中などでタバコを吸うのって結構当たり前というか、
普通に行われていましたよね。

それが非常識だなんて、誰も思わなかった。

でも今は喫煙スペースでタバコ吸っていても白い目で見られる時代です。
例えお酒の席でも、タバコを吸う人はほとんどいなくなりました。

こういう人々の意識や常識レベルでの変化がすでに起こっているし、
ここ数ヶ月の間に起こり続けると思います。

例えば、
お店の入り口のドアを触るのが気持ち悪いとか、
電車で密着して座るのは嫌だとか、
わざわざ三密になるような職場にいく必要あるのかとか、
キャッシュレスじゃないの!?とか。

具体的に何がどう変わるの?

じゃあ、ニューノーマルって具体的に何がノーマルになるの?
ということですが、次のような変化が考えられます。

<小売店>

入り口に消毒液を置く
レジでは距離を開けて並ぶ
飛沫防止の透明フィルムを設置する
キャッシュレス決済
などが当たり前になりそうです。

いや、むしろもう当たり前になっていて、
入り口に消毒液がなかったらキョロキョロ探してしまいますよね。
これがニューノーマル。

新しい当たり前、新しい常識ということです。

今回の営業再開に際して、入店人数を規制したり、
マスク着用、入り口での検温を実施してから出ないと入れないというお店もたくさんありました。

それがこれから当たり前になってくるかもしれません。
休日に混み合うお店や、テーマパークなどでは特にそうでしょう。

<飲食店>

回転率と客席数

飲食店の場合、
『回転率』×『客席数』×『客単価』=売上
という公式で、売上の予測を産出することができます。

しかし、これからは『回転率』『客席数』ともに下げた状態で
商売をするのが当たり前になります。

いや、これまで通り、安売りして、その代わりに回転率と客席数を目一杯あげて、フル稼働させて売上を立てるという方法も不可能ではなありません。

しかし、それをやると
「あそこの店は…」と言われるようになります。

「それでも行きたい」と思えるようなお店は、そんな批判は物ともせずにやっていけるのだが、そうではないお店は『回転率』と『客席数』を下げるしかありません。

それでもやっていけるような形態にリニューアルせざるを得ないということです。
それがニューノーマル。

こういうことを言うと
「そういうこと言ってもらっちゃ困る」とか感情的に批判してくる人がいるが、
別に私がウイルスばらまいているわけでもないし、
私が「みんな、三密の飲食店には行かないようにしよう!」と言って、それで日本国民を動かしているわけでもありません。
(そんなことできるほどの力があったら、今頃、リゾート地でのんびりYouTubeでも観てるでしょう)

宴会

宴会需要は誰がどう抵抗しても数ヶ月はかなり落ち込みますね。
たぶん大企業や官公庁は夏ぐらいまで宴会をやらないでしょう。
(これもまた批判してくる人がいるかもしれません)

やるとしても少人数の食事会になります。

その形態も、もちろんバイキング、ビュッフェ形式は避けられます。

テーブルに運ばれる料理も、
大皿料理ではなく、小分けされているのが当たり前になるでしょう。

<会社>

一度

「テレワークOK」
「時差出勤OK」

にしてしまったら、後戻りはできません。

最初は「緊急事態宣言あけたから今まで通りで!」と言われるかもしれません。
しかし、もう「それでも仕事ができる」と気づいてしまった人たちは
また満員電車にゆられる生活を強いられたら、
きっと「やっぱテレワークでよくないですか?」
と言い出すようになります。

テレワークが苦手なおじさんたちはなんとかこれを
食い止めようとがんばりますが、
一度認められ、それで支障がないとわかったものを戻すことはできません。

週休二日制の会社が
「来月から週休1日制に戻します」
と言えないのと同じです。

賢い経営者はこれを逆手にとっています。
どういうことかというと、

「なんだテレワークでいけるじゃん。
 じゃあ、オフィス解約するわ。
 浮いた固定費でテレワーク環境もっと整えよう」

という感じ。

今までは
「リアルの世界があって、オンラインの世界もある」
というのが当たり前だったのが、
これからは「基本デジタル、無理なことはリアルでやろう」という風に変わっていくかもしれません。

<学校>

学校については、今オンライン化しようだの、各家庭にwifi配ろうだの言っていますが、
緊急事態宣言が解除されたらそれはうやむやになると思います。

そして、夏休み大幅カット、冬休み春休みもちょっとカット、6時間授業は当たり前、行事の削減などをして、なんとか授業数をこなそうということになり、
そんな状況の中でもう誰もオンライン化がどうこうなんて言ってられない状況になりそうです。

もともと私はいろんな動画の中で
「学校は最後までオンライン化できないよ」
と言ってきました。

だって民間企業が必死にオンライン対応している中で、
先生方は普通に職員室の配置も変えない、
会議も窓だけ開けて紙の資料配って会議室でやってるという状況だったんですよ。

学校はITについては陸の孤島。
その状況は残念ながらニューノーマルでも続きそうです。

ただ、生徒の活動については
大幅に制限されていきます。

学校もそもそも大量の人間を効率よく教育するために作られたシステムですから、
そもそもからして、きれいに整列させて、できるだけ詰め込むという環境なんですよ。

その中で最近では「アクティブラーニング」ということで
グループ活動だの、ペア活動だの、話し合いだのが、積極的に取り入れられていた。

それがほぼできなくなります。
無視して強行する教員もいるでしょうが、推奨されなくなります。

今まで我々が必死に研究してきた学び合いとかアクティブラーニングってなんだったんだという感じですが、
これがニューノーマルなので、仕方ない。

・マスク着用
・手洗い、消毒は必須

これはまあ当たり前だとして、

・なるべく集まらない
・向き合ってしゃべらない
・密着、密接するようなレクリエーション、スポーツをしない

など、今まで学校が推奨していたことと全く真逆のことが常識になりそうです。

<タッチレス化>

テクノロジーの面でいうと、
最近はセンサーで人の手を感知して開く
「タッチレスで開くゴミ箱」がよく売れているらしいです。
(そんなん足でピッと踏んでパカって開くやつでいいじゃんと思う私は古い人間なのでしょうか?)

ここからわかることは、
「汚いもの」はもちろん「人がたくさん触るもの」をなるべく触りたくないという需要です。

そうすると「タッチ式の自動ドア」なんかは
「なんでわざわざタッチしきやねん」と思われてしまう可能性が高くなりますね。

実はトイレなんかでは、このタッチレス化の流れはコロナ以前から進んでるんですよ。
例えば、センサーで流れる、電気がつく、便座が自動で上がる、ってあるじゃないですか?
あれがドンドン当たり前になると思います。

テクノロジーの面で私がもっとも注目したいのは
「タッチパネル」がどうなるか?ということです。

iPhoneが普及して、世の中にタッチパネルが一気に広まりました。
受付、飲食店での注文、営業ツールなどなど。

この流れはこれから一層進んでいくはずでした。
でも、ニューノーマルではこれはどうなりますかね?

私は先日、回転寿司に行った時に注文のタッチパネル見て、
「あ、タッチパネルかー」と思ったんですよ。
思いません?皆さん。

タッチパネル化が進むのか?
それとも倦厭されるようになるのか?
それとも音声入力などのシステムが新たに普及するのか?
そこは現時点では見えないところです。

<カルチャー、イベント>

最後に、カルチャー、イベントはどうなるか?

先日、文科省がホームページ上で驚くべき発表をしました。

「文化的行事(学習発表会、音楽会、クラブ発表会、文化祭など)」における工夫として、

小グループやパートごとの練習を基本とし、全員で集まって練習する機会はリハーサルのみとする

という例を挙げたのです。

いやいや…。
そんなんできます?

てか、できるならとっくにやってるし、
あんな何時間もかけて練習してない。

あと、全国の国公立の劇場や音楽堂など約1300施設でつくる全国公立文化施設協会という組織が次のような発表をしました。

出演者やスタッフにも「表現上困難な場合を除き原則としてマスク着用を求めるとともに、出演者間で十分な間隔をとるようにしてください」と協力を求めた。

いやいや、
そんなことあります??

そんなん主人公の顔にずっとモザイクかかってる映画と同じですよ。
観てて楽しいわけがない。

文科省にしても、なんとか協会にしてもそれは解決方法ではなく
窒息死させようとしてるのと同じ。
文化を推進していく立場の人間が、こんな無理解なことを言っているようでは文化はこのままジワジワ死ぬしかない。

こういうのはニューノーマルにはならないでしょ。
なぜならこういう状況だったらやる意味がないから。

私は音楽家ですけど、
こういう状況でやれって言われたら断りますね。
これがニューノーマルになるぐらいなら、
多くの人は「だったらやらない」という選択肢をとります。

私たちがやるべきこと

さて、ではこれから全く新しい常識ができ、新しい習慣が当たり前になる世の中で私たちはどうしたら良いか?

それは、
旧来の常識に囚われないで柔軟に考えること。

「そんなのはおかしい」とか
「みんな惑わされてるだけだ」とか言っても、あまり意味はありません。

ホリエモンとかだったらそれで多くの人を動かすことができるけど、
私たちみたいな一般人はそれ言ってもただのグチにすぎません。

愚痴ってる時間があるなら、
この世の中で、ニューノーマルの世界の中で、
どう生きていったら良いか?を柔軟に考えていった方が得策です。

ニューノーマルという言葉のダサさ

さんざん話してきましたが、
最後に。

なんかニューノーマルという言葉を聞いて皆さんは何か違和感を感じませんか?

そう。

めちゃくちゃダサいですよね。

なぜ、ダサいと感じるのか?
ずっと考えてたんですよ。

そして最近ようやくその答えがわかりました。

それは『昭和感』ですね。

私が幼い頃、昭和の終わり頃だったんですが、
あの頃って、ニュー○○って言葉、やけに多くなかったですか?

ホテル、お店、施設などなど。

ニュータイプとか
ニューパワーとか
ニュートーキョーとか
ニューワールド、ニューミュージック、ニューシネマなどなど。

めっちゃ昭和感ありますよね笑

『ニューノーマル』という言葉から感じた違和感の正体はここだったのだと思います。

ちなみにこのネタ、
Twitterで言ったら「あー」ぐらいの反応だったんですよ。

でも、Facebookで言ったら、めちゃくちゃたくさんコメントいただきました。
さすがFacebook民!

あまり大きな声では言えませんが、「おじさんツール」「おばさんアプリ」と呼ばれてるだけのことはありますね笑

※昭和が悪いというわけではありません。