不登校ってよく問題になるじゃないですか。
私、元教師なので「不登校ってどう思いますか?」って聞かれること多いんですけど、
それについて思うことは…

不登校は悪くないですね。

なぜなら、
学校に行くことが正義ではないからです。

今回は元中学校教師の私が「不登校は悪くない」「不登校でもいいじゃないか」というテーマでお話ししたいと思います。

今から話すお話はデータに基づくものではなく、
基本的に私の体感覚を元にしたものです。

なので
「文科省のデータではこうなってる」
とか言いたい人は見ないでください。

今回のお話、
お子様をお持ちでない方とか、
お子様が元気に学校に行っている方とか、
「自分には関係ないわ」と思うかもしれないですが、
最後まで読んでいただけたら新たな視点が得られるというか、
既成概念に囚われてちゃダメだなってことに気付けると思います。

不登校の実情

まず不登校の実情についてなんですが、
私の経験だと100人いたら最低1人、多ければ5人ぐらい不登校の子がいます。

つまりだいたい1クラスに1人はいる。

もちろん、2年1組だけ不登校の子が3人いるとかなると、バランスが悪くなるので、その辺はクラス分けの時に偏らないように振り分けるんですが、
だいたい1クラスに1人ぐらい。

じゃあ、なんで不登校になってるかというと、
それは「なんでかわからない」というケースが多いです。

昔は「いじめられました」とかがきっかけで不登校になるケースが多かったんですが、
今はよくわからないケースが多い。

これは信頼関係ができていなくて「言ってくれない」ということではなく、
「本人もよくわかっていない」という場合が多いです。

もしくは「○○ちゃんに意地悪された」とか
「勉強について行けない」とか
「●●先生が嫌だ」とか
なんかポロポロといろいろ理由らしきことを言ったりもするんだけど、
どれが本当なのかわからない、決定打がないという場合もあります。

これは私が未熟だからというのもあるかもしれないけど、
ベテランのスクールカウンセラーと話しても、
学年主任が聞いても、家族が聞いても結局よくわからない、もしくは決定打がないということがめちゃくちゃ多いです。

真摯に話を聴けば聴くほどそうです。

原因なんてわからない

いや、実際、よくわからないんですよ。
人間なんてね。

「事実としてこうこうこういうことが起き、
 そして私はこのように感じました。
 よって私は学校に行くのが嫌です」

なんて理路整然と説明できる人なんていないでしょ。
本来よくわからないもんなんですよ、人間て。

これ、適応障害とか、うつとかもそうですよ。
心の傷とか、心の病についても、
多くの人は「腹痛」みたいに
「こういう原因があるからこうなってる。だからこうすれば治る」と思いがち。

でもそうじゃない。
実際は腹痛よりも「風邪」みたいなもの。

原因はよくわからない。
あれかな、これかなと思い当たることはいくつかあるかもしれないけど、答えはないんですよ。
とにかくつらい。とにかく体調が悪い。

心の傷とか、心の病ってそういうもんですよ。

それを熱血の先生とか、管理職とかは
「答えがあるはずだ」「何か理由があるはずだ」
という前提で、話を進めるわけですよね。

そしてその原因を除去してあげれば
問題は解決するはずである、と。

そんなん数学じゃないんだからね、
10 – 20 = -10、-20を取り除いてあげればプラスになる。

なんて単純じゃないですよ。
でも生徒は
「じゃあその原因をなくせばまた学校に来れるね?」
と言われれば
「はい」と思ってしまう。

じゃあ、それはその子のためになってるかというと、
必ずしもそうではない。

例えば、何かの原因で心のエネルギーが空っぽになっちゃってる子もいます。
それで不登校になってるとしましょう。

その子を引っ張り出すことがその子のためになりますか?

不登校はその子にとって必要な期間、という場合もたくさんあるんですよ。

学校に来ればOKではない

そもそも

学校に行けてる状態=健康
学校に行けてない状態=不健康

ではないよね。

学校に来ていても問題を抱えている子はたくさんいるし、
ギリギリの状態でなんとか学校に来ている子もいる。
昨日まで学校に来ていたのに自ら命を絶ってしまう子もいる。

逆に学校に来ていなくても家で好きなことやって
楽しく生活している子もたくさんいます。
不登校=引きこもり、社会不適応というわけではなく、
ただ「学校に行かない」というだけの子もたくさんいます。

でもたしかに、学校に来てくれていれば教師としてはできることは増えます。
声をかけてあげたり、小さな異変に気づいてあげることはできるかもしれません。

でもそれはあくまでも教師側の理屈。
それが本当に生徒のためになるかは、わからないんですよ。

「食べたくない」
「もう食べられない」
と言っている人に

「いや、これは栄養があるから食べなさい」
と言って無理やり食べさせるのが良いことなのか悪いことなのか。

それが命を救う場合もあるし、
そうじゃない場合もあります。

学校に行くことが正義ではない

学校に行かせたい教師や大人の言い分としては

「学校でしか学べないことがある」

ということです。

まぁそれはたしかにそうだとは思います。

でもね、
例えば私、グリンピースが嫌いなんですが、
「グリンピースでしか得られない栄養素がある」
と言われても多分グリンピース食べないと思いますよ。

さすがに「グリンピース食べないと死ぬぞ」と言われたら我慢して食べるかもしれない。

食べないって言ってるのに
「あなたがグリンピース食べないのには何か理由があるはずだ。味か、食感か、それとも匂いか。それを解決できればあなたはグリンピース食べられるようになりますよね」
なんて、毎日先生から働きかけられたらもう発狂しますよ。

他のもん食べて十分生きていけるからほっといて、と思います。

実は
「学校でしか学べないことがある」
って、めちゃくちゃ物事の一部分だけ切り取った理屈なんですね。

「学校でしか学べないことがある」の裏には
「学校では学べないこともある」という理屈もあるし、
「学校じゃなくても学べることがある」という理屈もある。

グリンピースからしか得られない栄養素もあるかもしれないけど、
グリンピースからは得られない栄養素もあるでしょ。
グリンピース以外からでも得られる栄養素もある。

めちゃくちゃ暴論だけど、
もうグリンピースと同じですね。

学ぼうと思えば後からでも学べる

例えば、勉強が遅れるとか、社会性が身につかないとか言う人もいるでしょう。

でも、そんなんは後からどうにでもなります。

たしかに人間には発達段階というものがあるので、
「その時期でしか学べないもの」とか
「その時期に身に付けておいた方が良いこと」とかは
あるんですよ。

でもそれって、ノーマルの人生の場合ですよね。
何事もなく、フツーに生きてこられた人の場合の話ですよね。

例えば、
戦争とか、家庭の事情とか、病気とかで学校に行けない子、一時的に勉強とか運動ができない子っていますよね。

じゃあそういう子たちはそこで人生終了かって言ったら
そんなわけないでしょ?

「学校でしか学べないことがある」とか
「その時期にしかできないことがある」とかは
標準的な人生を送っている人向けの言葉なんですよ。

ノーマルタイプとか、王道とか、
模範的な人生って、とても安全だし、楽なんですが、
そこから外れたからと言って終了ではない。

戦争をかいくぐって後に立派になった人とか、
恵まれない家庭環境に育ったけど今は立派にやってる人とかたくさんいるでしょう。

後から本気で「やっぱ大学行きたい」と思えば行けるんですよ。
昔はすぐに人とぶつかってたけど、大人になって丸くなる人だってたくさんいるでしょう。

もちろんそれはノーマルモードではないので、ハードモードですよ。
でもその気になればできるんです。

不登校は悪くない

最後に、不登校は「悪」じゃないです。

今、不登校になってる子。
不登校の子どもを抱える親御さん、先生方。

そこはまず理解してください。
それは自信もってください。

だから、あなたは自分を責めなくていいんですよ。
だって悪いことじゃないから。

不登校になっている子は
自分はダメだなんて思わないで、
人生終わりだなんて思わないで、
やりたいことやってください。

別に大丈夫ですよ。
不登校だったけど今は立派に働いてる人、
たくさん知ってます。

不登校のお子さんを抱える親御さん。
自分を責めないでくださいね。

子どもが不登校だと、
なんか自分が悪いことをしているような、
恥ずかしいことをしているような気持ちになって
誰にも相談できなかったり、
近所の目を気にしたり、隠したりする方、
結構多いんですよ。

でも別に気にしなくて大丈夫ですよ。
第一に考えるべきなのは学校に行かせることよりもお子さんの人生の幸せですよ。
やりたいことやらせて、才能を伸ばしてあげてください。

ということで今回は
「不登校悪くない」というテーマでお送りしました。