噂で聞いたレベルの話なんで本当かどうかわからないですが、
「とりあえず授業をYouTubeかなにかで配信しよう」
と検討している学校、自治体があるらしい。
うまくいくわけがない。
HIP-HOPのダンス大会で、盆踊りを披露するぐらい場違いだ。
本当にただ「やった」「オンラインで対応した」という実績をつくりたいだけの行政的な考え方である。
授業には授業の良さがあるし、
学校には学校でしかできない学びもある。
それは元教員だからよーくわかってる。
でもそれをそのまんまYouTubeやWEB媒体に載せようっていう発想は
うまくいくはずがない。
対面しているから成り立つこと
多くの学校の授業はいまだに「先生が話して、子どもたちが聞く」という形式で成り立っている。
なぜこれがコンテンツとして成り立つかというと、それは対面しているからである。
対面しているから
「ちゃんと聞かないと悪い」
「ちゃんと聞かないと怒られる」
「ちゃんと聞いてあげよう」
という気持ちが働く。
だから、ちゃんと聞く。
TVで政治家のおじさんたちがどんなに大切な話をしていても子供は聞かない。
でも先生の話は一応聞く。
それは先生という『存在』を一応信頼していて、
話聞かなきゃマズいと思ってくれるから子が多いからである。
その関係性の中で「話を聞く」という関係が成り立っている。
話がうまいから、コンテンツが面白いから聞くわけではない。
そもそも8割の先生は話がヘッタクソだ。
これは10年以上教育現場にいたからよくわかる。
「大半の先生は話がうまい」と言う教員がいたら会ってみたい。
話がうまいかどうかと、人前で話すのに慣れているかどうか、は必ずしも一致しない。
先生は人前で話すこと、もしくは説明することに慣れているかもしれないが、必ずしも話がうまいわけではない。
もちろんがんばって日夜、教材研究をして、
本当に子どもたちのためになる授業、おもしろい授業をしようと努力し続けている先生もいる。
人を引きつける話し方を身につけたいと、
セミナーに通ったりする先生もいる。
でも残念ながらそれは少数だ。
(これも現場の先生方は同意してもらえると思う)
YouTubeにはYouTubeのやり方がある
さて、努力している先生方もいるが、
それは既存の枠組みの中での授業づくりという中での話だ。
じゃあYouTubeやオンラインで、
どういうコンテンツを配信したら良いかということを研究している人は
ほぼいない。
オンラインでの授業のやり方はいろいろあるが、
話をわかりやすくするために、
YouTubeに絞って話す。
YouTubeの世界では、
2年ぐらい前から『第二次YouTubeブーム』のようなものが徐々にはじまっていた。
(第一次はヒカキンとかはじめしゃちょーが出始めたころかな?)
その時に「これからは動画の時代だ」ということで、
多くのブロガーがYouTubeに参入した。
ブロガーというのは自分のブログにおもしろい記事を書いて、
アクセスを集めて、広告を貼って、その収益で食べている人たち。
中には毎月何百万アクセス、Twitterのフォロワーも何万人もいる。
みたいなブロガーもいる。
彼らは「おもしろいコンテンツをつくり」「アクセスを集める」ということについてはプロなので、はじめしゃちょーやヒカキンなんて、すぐに追い越せる。
ぐらいのつもりで、YouTubeに参入してきた。
しかし、その多くは半年も待たずに、
YouTubeから消えていった。
彼らは「ブログでおもしろいコンテンツをつくる」ことについては天才かもしれないが、「YouTubeでおもしろいコンテンツをつくる」ということについては全く素人だったのだ。
「学校でやっている授業をとりあえずYouTubeで配信しよう」
という案についても、これと同じような状況になることは目に見えている。
情報密度が違う
例えば、歴史の授業だったら普通の先生は
「あーえー今日はね、江戸時代のね、あのー文化についてね、学習していきましょう」
みたいな感じだが、これを人気のYouTuber DJ社長が話したらどうなるか?
「今日は江戸時代の文化について話すなんで江戸時代について学ぶかって言うとそもそもみんな江戸時代なんていつの話とか思うかもしれんでも江戸時代の文化って今の世の中の基礎になってる部分がめちゃくちゃ多いだから江戸時代について学ぶことは今を学ぶことにもつながるんよ」
という感じになる。
これ、何が違うかというと、ただ早口で話してるだけジャなくて、
「情報密度」が高いということなんだ。
時間あたりの情報量がめちゃくちゃ多い。
スマホで1時間の動画見るってなかなかきついと思う。
だからYouTubeなんて長くてもだいたい15分〜30分ぐらい。
短い時間だから情報量が少ないかっていうと、
実はその中にめちゃくちゃたくさんの情報が詰め込まれていて、
密度がめちゃくちゃ高い。
だからYouTuberがよく使う編集技法で「ジャンプカット」というものがある。
ジャンプカットいうのは「えー」とか「あー」とか、話の間をバンバンカットしていく技法。
私もよく使っている。
そうするとダーーーーっと話ているように聞こえて、10分間集中して見てもらえる。
これが「あー」とか「エー」とか、「あのー」「ね」とかが入っていると、
間延びしてしまって聞いていられないのだ。
子どもたちはYouTubeでそういう動画に慣れているし、
そういう見方をしている。
(だから今、「映画は長すぎて観ていられない」という若者も増えているそうだ)
この辺の話は天才動画クリエイター明石ガクトさんという方の「動画2.0」という本に載っているので、詳しくはそちらを見てほしい。
中田敦彦がいればいい
じゃあ、学校の先生ががんばってYouTubeの編集を覚えて、動画つくればいい?
というと、それもまた違う。
人によって違うと思うが、
YouTube動画の場合、5分の動画をつくるのにだいたい2時間〜3時間かかる。
(私は最低限の編集だけにしているので、企画から完成までだいたい3時間ぐらい)
それをじゃあ教師一人ひとりがオリジナルで作っていくなんて、本当に無駄である。
例えば、「江戸時代の文化」について、A先生もB先生もC先生も別々に動画を制作している。
そして、他の学校でも同じようにいろんな先生がつくっている。
なんてことが起こったら、非効率もはなはだしい。
しかも、オリラジの中田敦彦さんみたいにめちゃくちゃおもしろくて勉強になるコンテンツを出している人もたくさんいる。
そういう人にかなうだけのコンテンツを配信できるのか?
おもしろくなければ見られない。
ネットで戦うってそういうことなのだ。
極論言っちゃうと、
オリラジの中田敦彦さんにお金払って、
教科書1本分のコンテンツをつくってもらう。
それでそれYouTubeで配信して、全国の学校でつかう。
そうすれば済んでしまうのだ。
あっちゃんじゃなくても、林先生でもいいし、ヒカキンでもいい。
そうしたら教員の数も減らせるし、その分の金をコンテンツ制作費に回せる。
もちろん、人間力を鍛えたり、コミュニケーションしながら学ぶ部分は学級担任のような人がやっていく必要があるが、それでも授業の数が半分になれば、かなりの数の教員がいらないくなる。
そもそも学校は「ICT教育の推進」とか、さんざん言っておきながら、今までさんざんITを目の敵にしてきた。
生徒用のPCでYouTubeを見れないようにブロックしている学校もある。
「スマホは1日何時間まで」とかなんの根拠もなく決めてる自治体や学校。
「ノースマホDAY」をつくろうとかわけのわからないことを言っている学校。
さんざんバカにしておいて何をいまさら…という感じである。
ではどうしたらいい?
ではどうしたら良いか?というと、
それは「学校にしかできないこと」「学校で学ぶよさ」を再確認して、
ネット上でその良さを活かして教育できる方法を考えていくことである。
zoomは危険とか言われているが、
現状だと、使えるツールはzoom一択だと思う。
使ったことはないが、GoogleClassroomも良さそうである。
zoomの良さは双方向でコミュニケーションを取りながら学んでいけることである。
それを活かしつつ、YouTuberには真似できない、新しい学校教育をつくっていくしかない。