ミャンマーでクーデターという衝撃的な事件が起こりましたね。

でも、いやミャンマーってそもそもどこ?
ミャンマーってどんな国?という人も多いでしょう。

ちょっと興味がある人はネットで調べたと思うんですが、
細かい政党の動きとか言われても、
本当に重要なことはなんなのかいまいちわからない。

ということで、
今回は元社会科教師の私が、ミャンマーの歴史と
クーデターの裏側について、約10分で分かりやすく解説します。

最後まで見ていただけると、
ミャンマーの歴史から、今回の事件まで、
大きな流れが理解できると思います。

今後もこんな感じで、
分かりやすく歴史や社会問題について解説していきますので、
ぜひチャンネル登録しておいてください。

 

ミャンマーとは?

Map of Myanmar and neighboring countries

そもそもミャンマーってどこ?って人も多いと思うので、
簡単に地理的な話からしていきますね。

ミャンマーは東南アジアにある国で、
中国、タイ、インドに囲まれた国です。

ミャンマーはまだまだ発展途上の国ということで、
『東南アジア最後のフロンティア』と呼ばれ、
注目を集めている国です。

しかもミャンマーは仏教徒が多いので、
イスラム教国に比べて宗教的な規制も少ない。

民族的にはビルマ民族が7割。
あとは少数民族がたくさん。

東南アジアには
西から来たインド系、南から来たポリネシア系、
北から来た中国系・チベット系の民族が混ざり合って、
たくさんの民族がいます。

 

ミャンマーの歴史

ここから歴史の話に入るのですが、
世界史で重要なのは大きな視点で、
大きな流れを捉えることです。

細かい民族史みたいなところに焦点を当てていくと
ドンドン理解不能におちいって、ドンドンつまらなくなっていくので、
もっと大きな視点で捉えましょう。

 

ということで、めちゃくちゃ簡単にいうと、
ミャンマーはもともとビルマという国でした。
チベットの方から南下してきた
ビルマ族がつくった国です。

それが西暦1000年頃。

それから800年ぐらい、
このビルマ民族が近隣の国や少数民族に攻め込まれたり、
攻め込んだりしながら国を維持してきます。

 

そこに侵略してきたのがイギリスです。

 

植民地時代

イギリスはインドを植民地にして、
次はそのお隣である、ビルマ=ミャンマーを狙ってきたんですね。

 1824年から三回もの戦争が起こされ、
イギリスの植民地にされます。

そして、イギリスはビルマに、
インド系イスラム教徒をガンガン移住させたんです。

これがロヒンギャ難民と言われる人々で、
今国際問題になっている民族問題です。
これについては後から詳しくお伝えします。

 

イスラム教徒はもともとバングラディッシュとか、
ビルマとインドの国境あたりに住んでいて、
ビルマとインドを繋ぐ商人として、仲良くやってたんですね。
仏教はもともと他の宗教に対して寛容ですからね。

ところがイギリスに支配されて、
そこに今まで少数派だった人たちが自分たちの土地にガンガン入ってきたということで、
だんだんと恨みを募らせていくようになります。

 

これがイギリスが世界各地で行ってきた『分割統治』という最悪の統治法です。
植民地の中に、あえて対立構造をつくって、
批判の矛先が、支配者である自分たちに向かないようにしたんですね。

 

日本軍との共闘

そして、話は戻って、
さらにここに入ってきたのが大日本帝国。

日本はアジアからイギリスを追い出したい、
また、イギリスがインド=ビルマ=中国というルートを使って
日本の中国侵出を邪魔してきたので、これを潰したい
そういう意図があったからです。

日本軍は
ビルマ独立運動を進めていたアウン・サンを支援して、
共にイギリスを追い出す戦いをはじめます。

イギリスはこの時、最悪なことに、
ロヒンギャはじめとするイスラム教徒らを使って、
ビルマ軍、日本軍と戦わせました。

その中で、2万人以上のビルマ人が虐殺されたと言われています。

こういう歴史があるので、
ビルマ人は、ロヒンギャ民族に対して
めちゃくちゃ悪い印象を持っているんです。

ここを理解しないと、
ロヒンギャ問題は理解できません。

 

まぁそういう汚い手をたくさん使われながらも
アウン・サンと日本軍はイギリス軍を追い出し、
ビルマを独立させることに成功します。

 

しかし、アウン・サンその後、日本を裏切ります。
日本の敗戦が濃厚になってくると
急に日本軍に銃を向けたのです。

もちろんこの裏にはイギリスによる工作がありました。
イギリスは
「日本はもう敗けるぞ。
 そうなったらお前らどうなるかわかってるだろうな?
 もし日本を追い出したら独立を認めてやる」
とアウン・サンをそそのかします。

日本人としては彼が日本を裏切ったのはもちろん腹が立つことですが、
その裏にはイギリスからの工作があったので、
彼としてはもうそうせざるを得ない状況があったのでしょう。

そして、アウン・サンは日本を追い出します。

 

しかし、戦後、イギリスはその約束を破ります。

ビルマの独立は認められませんでした。
しかも、独立を求めていたアウン・サンは暗殺されてしまいます。

 

独立

その後、1948年、終戦から3年経って、
ようやく『ビルマ連邦』として独立が認められました。

しかし、ビルマの受難はまだ続きます。

中国との国境付近に中国国民党の残党が
流れ込んできたんです。

当時、中国では共産党vs国民党の争いが起こっていて、
それに負けた国民党は台湾とか、ビルマに逃げてきたんですね。
そして、ここを拠点にして中国共産党と戦いはじめた。

しかも、アメリカ・CIAは、中国共産党に対抗するために、
公然と国民党の残党を支援します。

それを打ち倒すためにネ・ウィン将軍という人が
中国共産党、人民解放軍と協力して、
掃討作戦を展開し、国民党を追い出します。

 

そして、1962年、ネ・ウィン将軍は
軍事クーデターを起こして、
ビルマ社会主義計画党を結成、大統領に就任します。

それから1988年まで、ネ・ウィンの軍事独裁体制が続きました。

もちろん、

この軍事政権は中国共産党の強い影響下にあります。

その始まりからして中国の協力のもとに独立を勝ち取った国で、
その後は経済的にも中国と深いつながりのもとで生き残ってきました。

アメリカなどが、ミャンマーに対して経済制裁を行っていたので、
中国の経済圏に入るしか生き残る道はなかったという事情もあります。

 

イギリスの支配、日本の介入、中国の動き、アメリカの工作。
そういう大国の動きに翻弄されてきたのがミャンマーなんです。

 

ちなみに日本は、国際社会から孤立したミャンマー に対して、
戦後もずっと支援を続けてきました。
日本は偉い。

 

民主化

しかし、1988年に民主化を求める運動が激化して、
ネ・ウィンは一応、表舞台から退くことになったんですが、
この運動のリーダーだったのが、
アウン・サン・スー・チーです。

日本軍と共にビルマを独立させ、
日本を裏切ったあのアウン・サンの娘です。

 

スー・チーは国民民主連盟NLDを組織し、
『民主化の女神』と呼ばれるようになるのですが、
民主化運動を起こしますが、1989年から約20年間、
自宅で軟禁されます。

その後、軍政権はビルマからミャンマーに国名を改名。
選挙も形だけは行われていますが
軍事独裁体制が2011年まで続きます。
その辺りから徐々に民主制に移行していきます。

 

そして、2015年に行われた選挙で、
国民的な人気を誇るスー・チーが率いる国民民主連盟NLDが圧勝します。

もちろん、まだ軍部はかなり強い力を持っていて、
スー・チーが大統領になることを拒否したりしているのですが、
一応、形としてはは軍事政権が終わり、民主制が実現したのです。

 

スー・チー政権

そうしてスー・チー政権の評判はどうだったかというと、
まぁそんなに評判は良くなかったようです。

特に、先ほどもお伝えしたロヒンギャ問題のせいで
スー・チーの国際的な信用は、地に堕ちています。

ミャンマー国内にいたインド系イスラム教徒の少数民族ロヒンギャ民族に対して
弾圧や虐殺が行われているという問題です。

これは軍隊が主導していたと言われているんですが、
スー・チーは政権中枢にいながら別にこれを積極的に止めようとしなかったんですね。

なんでかっていうと、
イギリスの工作によって、ビルマ人がロヒンギャ民族によって2万人殺されてますから。
恨みを持っている人が多い。
スー・チーさんもビルマ人ですからね。

そんな中で外交的には中国とのつながりを強めています。

しかし、
スー・チーさんは国内ではいまだにものすごい人気なんですね。

だから、2020年11月に、選挙が行われたんですが、
そこで8割を越す議席を獲得し、大勝利を納めています。

 

クーデターの真相

これに対して、国軍側が異議を唱えて、
総選挙後、初の議会が開催される予定だった2月1日に、
大統領やスー・チーさん、大臣たち、
国民民主連盟の議員たちの大半を拘束します。

そして、

「選挙でズルが行われた。
 これは国家の非常事態だから、軍隊が一時的に全権を掌握する」

と発表しました。

まるで、アメリカのパロディのようですが、
実際にミャンマーで起こったことです。

 

国軍は憲法に基づいて行ったと言っていますが、
軍事力で、現政権をひっくり返しているので、
これは実質的にクーデターと言ってもいいと思います。

クーデターというのはフランス語で、
軍隊などが武力によって政権を打ち倒すことを言います。

 

で、もちろんこのクーデターの背後には大国、
覇権国家が動いています。

東南アジアも、日本も、
大国の綱引きの中で歴史が動いているんですね。

今回、この動きの裏にいるのは
もちろん中国です。

ここまでの話を聞いていればわかりますよね。
もう戦後、ミャンマーは中国の属国状態になっているわけです。

 

ミャンマーと中国のつながりについて、
「スー・チーさんは中国共産党とつながっているのではないか?」
という人もいますが、それは違うと私は考えます。

中国共産党にとっても、軍部にとっても
スー・チーさんはあくまでもお飾りでしょうね。

スー・チーさんは20 年間ずっと軟禁されてますからね。
民主化の象徴、国民のアイドルではあるけれども
政治的な力はも手腕もないし、
いまだに1980年代の価値観の中で生きていると言われています。

 

中国はそれもわかっているので、
実際は軍部の方と強くつながっています。

 

その証拠に、今回のクーデターについても、
中国はまったく非難していません。
国連安全保障理事会も、中国の反対によって、
声明一つ出すこともできません。

ミン・アウン・フライン国軍最高司令官は2020年1月には習近平国家主席と、
2021年1月13日には王毅外相と会談しています。

軍のトップがですよ。
超大国のNo1と外相と会見してるんですよ。

ここで、『最終確認』が行われ、アウン・フライン将軍の計画が『承認』されたのだと考えるのが妥当でしょう。

 

ということで、今回は、
ミャンマーの歴史と、クーデターの真実についてお伝えしました。

 

<情報ソース>

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC

http://www.myanmarplg.com/basic/history.html

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM018910R00C21A2000000

http://www.peoplechina.com.cn/zzjj/202001/t20200119_800190257.html