新型コロナウイルスパニックがこれからどうなっていくか?

今回は1918年に起こった『スペイン風邪の大流行』の歴史から、
それを分析し、お伝えします。

私は元中学校教師で
10年以上教壇に立って歴史を教えてきました。

今回はそんな私が中学生でもわかるように、
スペイン風邪の歴史と、
コロナがこれからどうなるかということについて
お話しします。

 

まずはじめに、
スペイン風邪って何?
それで世界がどうなったの?という話、
そして、後半では一番重要な話、
じゃあそこから推測して、世界はこれからどうなっていくか?
ということについてお伝えしますので、
ぜひ最後まで動画ご覧ください。

 

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なぜ歴史に学ぶのか?

まず本題に入る前に、
私が中学校で歴史を教えている時に
生徒から時々こんなことを言われました。

「先生、昔のことなんて学んで
 なんの意味あるの?」

と。

これについての私の答えは

「うるせーいいから勉強しろ。
 屁理屈言ってんな」

…ではなく、

「それはね…
 人類の『経験知』を学んで、
 そこから未来を考えるためだよ」

ということです。

優しいでしょ?
優しいんですよ。

 

ビジネス風に言うと
『先行事例から予測する』
ということ。

なぜ、先行事例を学ぶかというと、
私たちはすべてを自分自身で試すなんて
無理だし、非効率的だからです。

自分の人生の時間には限りがあるし、
その中でできることも限られている。
自力で得られる経験なんてたかが知れているんです。

だから歴史から学びましょう。
そうすれば、未来も予測できますよということ。

 

スペイン風邪と第一次世界大戦

それでは早速本題に入ります。

スペイン風邪とは1918年〜1920年にかけて
世界中で大流行した「インフルエンザ」です。

全世界で5億人以上が感染し、
5000万人〜1億人が死んだともいわれています。

 

スペイン風邪が流行った1918年当時、
世界はどういう状況だったのかというと、
第一次世界大戦(1914年〜1918年)の終わり頃でした。

 

この第一次世界大戦というのは戦争の形を
大きく変えた戦争と言われています。

それまでの戦争は局地戦で、
戦場で、兵隊同士がぶつかり合うだけの戦争だったんですね。

それが第一次世界大戦からは、
国全体が戦場になって、国が総力を上げて戦う戦争に変わった。

なぜかというと、
科学技術が進化して、
交通手段が発達したので、
兵隊を無制限にガンガン戦場に送り込めるようになったからです。

そして、機関銃とか戦車とかが登場して、
兵士が大量に死んだ。

それを補うために、余計にまた大量の兵士が
蒸気船や鉄道、自動車などを使って、
戦場に送り込まれた、というわけです。

 

そういう状況の中で、
兵隊を経由してスペイン風邪が広まったんです。

それまで人類の歴史の中で国境を越えて、
大量の人が行き来するなんてことはなかった。

第一次世界大戦の中で初めてそういう起こって、
人類は世界的なパンデミックに直面したのです。

 

スペイン風邪の発生源はどこかというと、
1918年、アメリカ軍の兵士が発熱、頭痛、喉の痛みなどを訴えたのが、
スペイン風邪の最初の症例だそうです。

スペイン風邪は
アメリカ軍とともにヨーロッパへと拡大し、
さらにアフリカ、インド、日本、中国へと感染は拡大しました。

 

スペイン風邪の流行

さて、
当時は抗生剤もインフルエンザワクチンもなく、
人々の衛生面に関する知識もありませんでした。

それでスペイン風邪ウイルスは一気に世界中に広まり、
世界で5億人以上が感染し、5000万人が死んだといわれています。

 

ただ、本当はもっといたと思います。

当時は帝国主義の時代で、
欧米が世界中を植民地支配していた時代です。

植民地なんかではかかっても、死んでもほったらかし、
死者数のカウントも正確ではなかったので、
実際の被害はもっと多かったでしょう。

 

スペイン風邪も今の新型コロナウイルスと同じように
大きな感染の波がいくつかありました。

 

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第1波は1918年春〜

第2波は1918年秋〜

第3波は1918年春〜

と言われています。

この中で、第2波が一番強烈で、
変異によって毒性が高まったウイルスが流行し、
死者が大幅に増加しました。

特に若年層での致死率が高かったようです。

第3波は、第1波よりも強く、第2波よりは弱かったようです。

 

これが近代に入って、最大のパンデミック、
スペイン風邪の概要です。

 

世界の研究者たちも意識

最近のパンデミックといえば、
SARSではないのか?という声もありますが、
SARSと新型コロナではまったく広がり方が違います。 

SARSは約半年で収束宣言が出されていて、
感染国も限定的でした。

そのため、短期間で世界中に飛び火した新型コロナウイルスとは
まったく比較にならない、
なので、よくスペイン風邪と比較されるのです。

 

8月にWHO•ドロス事務局長は

「このパンデミックを2年未満で終息させることを期待している」

と発表したんですが、これはスペイン風邪を念頭に置いての発言でした。

もちろん、スペイン風邪の時よりも科学は発展しているので
有利な面もありますが、
逆に『グローバル化』『人々の密集』
によってスペイン風邪の時代より不利な状況もあります。

科学者たちはこのあたりも加味しつつ、
スペイン風邪の歴史を念頭において、
コロナの研究を進めています。

 

当時のアメリカ社会の対応

スペイン風邪当時のアメリカ社会の動きや対応について、
いろいろ記録が残っているんですが、
例えばサンフランシスコでは
1919年に、シカゴからその1人の患者がサンフランシスコに入り、
一ヶ月後にはサンフランシスコ市内の病院の
看護師の75%が感染したそうです。

それくらい感染力が高かった。
もちろん、防備が十分にできていなかったこともあります。

 

市内の病院はすぐに患者で満床になり、
完全に『医療崩壊』を起こしてしまったそうです。

 

それに対して、人々ができたことは
・マスクの着用
・ステイホーム
・ステイホームの推奨
・「風邪気味の方、発熱している方はお断り」と書いたポスターを貼るなど。

今とやってることはほとんど変わらない。

 

ちなみに当時から「絶対にマスクをしない人」がいて、
その人に対して乗車拒否するとかしないとかいうのが
問題になっていたようですよ。

ホリエモン、観てますか?

 

さて、そんな中でペンシルベニア州のフィラデルフィア市では、
あまり対策を取らなかったんですね。

なぜかというと、当時は第一次世界大戦中で、
アメリカは戦時景気、バブルの真っ只中。
さらに盛り上げようと戦費を調達するための
パレードが市内各地で行われていたんですね。

ステイホームなんて言ってる場合じゃねーと。

そしたらこれで感染がドンドン広がっちゃった。

結局、感染者が指数関数的に増えて、医療崩壊を起こし、
半年間で1万5000人以上が亡くなったそうです。

 

これと対照的だったのがミズーリ州のセントルイス市です。
同市では最初の患者が報告された直後に
学校休校、劇場や教会、娯楽施設なども閉鎖。
大型店舗の営業時間短縮、
電車の乗客人数制限などを実施しました。

これについて「厳しすぎる」との反対論もあったんですが
市長が自分が責任を取ると言って強行に実行したそうです。

結果、セントスルイス市は被害を最小限に食い止めることができました。

 

日本では?

日本には1918年、台湾経由でスペイン風邪が入ってきます。

日本の波は世界とはちょっと遅れていて、

第1波は1918年秋〜

第2波は1919年冬〜

第3波は1920年冬〜

という感じで、3年ちょっとに渡って流行が起こっています。

 

当時の日本は政府も専門家も、細菌とウイルスの違いも分かっておらず、
なので日本はウイルスを検査することができなかったんですね。

だから、対応としては結局

・咳をする人や病人に近づくな
・人が集まっているところに行くな、大人数で集まるな
・マスクをするか、ハンカチなどで口を覆いなさい

という対策しかなかった。

当時もデマが流れたり、
『ネズミを焼いて粉にして飲むと治る』という民間療法が流行ったり
『流行病にかからないお札』が売れたりしたそうです。

今は当時よりも格段に科学技術が進んでいますが、
結局、何か起こった時の人々の行動は
100年経っても同じようなものなんですね。

技術が進化しても、
人の心はそんなに進化しないんです。
だから、歴史を学ぶことで、
今がわかる、未来がわかる。

これも歴史を学ぶ意義です。

 

日本のスペイン風邪は
1921年ごろから、自然に鎮静化しました。
それは対策が有効に働いたからではありません。

多くの人が感染して、
生き残った人たちの多くが抗体を持ち、
集団免疫を獲得したからです。

日本の当時の人口は5000万人ですが、
そのうちの2000万人が感染し、
38万人が亡くなったそうです。

 

スペイン風邪の歴史から見えるコロナの今後

さて、このスペイン風邪の歴史から、
じゃあ、コロナがこれからどうなっていくか?

ということが予測できます。
あくまでもスペイン風邪の歴史を根拠にした予測です。

預言ではないので、
変に捉えないでくださいね。

 

1)第3波はある

今「第3波が来た!」と騒がれていますが、
やはり第3波はあるんです。

ワクチンの状況によっては第4波もあるかもしれませんが、
とにかく言えることは
世界的に感染爆発したウイルスは、
何度か大きな波を描きながらだんだんと収束していくということです。

これは私が3月から主張していたことです。

「なんでスペイン風邪と比較するんだ」
「コロナは11月にはなくなる」

と言っていた人たち、
「謝れ!」って感じですよ。

世界に向けて謝って、
「すみませんでした。
 これからは真摯に歴史から学ぶようにします」
と言え!と思います。

 

日本や欧米先進国はこれからワクチンを接種していくので、
おそらくそれとともに感染も、
人々の混乱も収まっていくものと思います。

しかし、ワクチンが一般の方にまで届き始めるのは
早くて来年の1月、遅ければ来年の5月〜6月ぐらいに
なるということです。

少なくとも年明けまではワクチンがこない。

私たちはワクチンなしで第3波と戦わないといけないということです。

 

2)波ごとに被害は異なる

そして、
感染状況や被害状況は、第1波と、第2波と、第3波では
まったく異なります。

これは

・ウイルスの変異
・気温と湿度
・医療体制
・人々の対応
・抗体の獲得状況

などが変わってくるからです。

第1波が大したことなかったからと言って、
第3波も大したことないはずだと考える人はおろかですよ。

私たちは第1波とまったく同じ状況で
第3波を迎えるわけじゃないですからね。

 

3)国境封鎖は最長で3年?

最後は国境封鎖は最長で3年かかるということ。

 

え、そんなに!?と思うかもしれませんが、
最後まで話を聞いてください。

 

まず、感染状況は地域によって、
国によって時差があります。

スペイン風邪の時は
日本は明らかに世界よりも遅れて波が到達しています。

今よりも交通網が発達していなくて、
人の行き来も盛んじゃなかったので、
そうなったのでしょう。

今は世界各国、国境封鎖、渡航制限している状況ですから、
日本と、アメリカと、ヨーロッパでは
まったく異なる形で波が発生しているのです。

 

来年以降、日本や欧米先進国はワクチンによって
感染も混乱も収束していくでしょう。

ところが、ワクチンが行き届かない国もあるのです。

 

欧米や日本は金にものを言わせて、
優先的にワクチンを入手していますが、
買えない国もあるでしょう。

ワクチンがあってもお金がなくて打てない人もいるでしょう。

コロナワクチンは2回打たないといけないそうですし、
下手したら毎年打たないといけないかも、という説もあります。

そうすると、
ちゃんとワクチンを打って、
それで感染を防げるような国というのは
世界の中でも限られてくるのです。

ワクチンを買えない、国民が貧しくてワクチンを受けられない、
そういう国ではズルズルとコロナが続くことになります。

 

スペイン風邪の時は
日本ではそれが3年続いたわけです。

だから、そのことを踏まえて
WHOは「2年未満で収めたい」と言っているわけです。

 

そして、入国制限もズルズルと続くのです。

欧米や日本は来年夏までに
さっさとワクチンでコロナを抑え込んだとしても、
ズルズルとコロナが続いている国があったら、
往来制限、入国規制が完全に解かれることはないからです。

 

ということで今回は、
歴史から学ぼう!
コロナの結末はスペイン風邪から見えてくる!

というテーマでお送りしました。